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★信義の国は今…★
それは中国での事。
北京や上海といった都市部なら事情は違っていただろうが、私が行った先は,桂林という奥地?だ。 カルストの地形で「墨絵の世界」と名高い、しかし正直言って大田舎(中国では、都市部と農村部という言い方をする)だ。 中国は、かつて戦後日本の復興時のような、猛烈なスピードで変化しているので、いかに桂林とはいえ、最近はこのような事はないと思うが…。 このような=例えば、観光を終えて、夜になってバスでホテルへ向かうとする。あたり一面、真っ暗闇だ。街灯というものがない!!(ア!もちろん、町の中にはありますよ)メインストリートには、電灯がある。しかしそれは、昭和初期の日本にあったようなもの、と言っても私がそれを知っている訳ではない。好きだったテレビドラマ「菊次郎とサキ」(北野タケシさんのドラマです)に出てきたのだ。電柱についている、笠のついた電球!? あのようなものが、メインストリートにはあった。しかし、ちょっと途をはずれると、真っ暗闇だ。 バスも、もちろん大型観光バスではない。リクライニングシートもなければ…そもそもシートと言える代物ではない。時には、窓が割れていたりもする…。 繰り返すが、都市部でこのような事はない。格差がひどい国なのだ。 不便ではあるが、桂林の景色そのものは一見に値する。飛行機で降下する時に、窓から見ると驚く。突き刺さりそうな岩が、大地からニョキニョキと生えている。まさしく生えているとしか形容できない景色なのだ。 近くで見ると、これは山だとガイドさんが言う。山というより、大きな岩にしか見えないが「コレ~ハ、ヤマデスネ!」と断言されると、「ああそうですか」と言うしかない。 しかも、観光客はその山に登らねばならない。ヤマには恐ろしく急な階段。正面から見ると、階段しか見えない。そのくらい小さなヤマなのだ。周囲は、おそらく100m程度? 高さだけは異常に高い。本当にタケノコが大きく伸びた、という感じである。 なので、ヤマにへばりついた階段は、急角度で狭く、恐ろしい。お年寄りにはまず無理、というより、あれを見て登ろうとは考えないだろう。私もパスした。しかし、ガイドさんは行かねばならない。若い女性ガイドは先頭に立って登っていったが、戻ってきた時、ヒールを履いた足から血を流していた(マメが潰れたのだとか)! いえ、ヤマの話はどうでもいいのです。 私は、この桂林にツアコンとして2度行った。初めての時は、葉さんという男性ガイドだった。 この町で、日本人観光のガイドのほとんどは、桂林大学の日本語学科の学生がやっていた。彼も学生であるが、かなりうまい日本語を使う。しかし、やはり都市部と違って、農村部において日本語を学ぶのはとても困難だ、と言った。 葉さんは私が持っているウオークマン(と露骨に言っていいものか?)がとても欲しい、それがあれば日本語の勉強が楽になると言う。私は何気なく、今度桂林に来る時、買ってきてあげようか、と言った。 今のように激安が一般的ではなく、ウオークマン自体、特にレコーディング付きはかなり高かった。当時、中国の平均給与は日本円にして4~7000円程度で、2万近くするそれが彼らに買えるとは思えなかったが…。それでも、1度言った以上、約束は守らなくてはならない。有言実行は私のモットーだ、笑! 中国の税関は、外国製品に対して非常に神経質だ。特に日本の電化製品は…。入国時に持っているものを全て申告して、出国時に同じ物を持っていなければ、現地で売ったとみなされ法外な税金を取られた。 今はそのような事はないと思うが、その申告書も、初めて見た人は驚く。持っている電気製品にチェックを入れるのだが、扇風機や冷蔵庫、洗濯機まで記載されている。それは外国人用の申告書なのだから、現地の人に頼まれて、冷蔵庫を背負って来る日本人がいると考えられているのだろう。まあ、ウオークマン程度なら隠せるだろう、と安易に考えた。 さて、持ち込んだのは良かったが、その先が大変だった。当時の中国では、全てのツアーは番号で分けられているため、どのツアーがどこの旅行者で、誰が添乗して来るのか、全く知り様がないのだ。 他の国なら、例えば「12月29日にJ旅行者で30人の団体、添乗員はMai、ホテルは○○」というように、予約時に現地の旅行会社にお知らせが回る。ガイドはこれを見て、「あのうるさ型のMaiがまた来るよ」と把握出来るのである。 ところが中国では、「12月29日・日本から30人」という事しかわからないのだ。 当然行く側も、何もかも現地へ行かないと解らない、ホテルも当日でないと解らない、というはなはだ不便な場所だった。 私は、足を血だらけにした若いガイドに、葉さんを知っているか聞いてみた。同じ大学の日本語学科という事ですぐにわかるだろう、と甘く考えていた。しかし彼女は、アッサリと「ワカリマセン」と言った。 それは困る!と私は言う。危険を犯して持ってきたのだ、もしこのまま持って出て、税関で捕まったらどうなると思う。申告したものがなくなったなら罰金ですむが、申告せずに持ち込んだとなると立派な犯罪だ。 なんて事をしたんだろう、と実は気の弱い私は青くなる。「日本のツアコン、ご禁制品を持ち込む!」という新聞ネタになるかもしれない。だいたい、何でも簡単に請け合うからいけないのだ。向こうは当然、この国の旅行システムは知っているわけだから、私が何度来ようが2度と会える事はないとわかっていたはずだ。本気ではなかったのだ! 事情を聞いて彼女は「探シマショウ。友達ニ聞キマス」と言った。 けれど私が滞在するのは、わずか2日間。いくら田舎と言っても、知らない人間を探すのは無理だと思った。 ところが… 2日目の観光を終えて夜ホテルに戻ると、薄暗いロビーに葉さんがいた。驚いた。 「どうしてここがわかったの?」「友達の友達、何人もの人を通して、やっとあなたが来ている事を知りました」 「ウオークマンを?」「ええ、有り難うございます」 私が持っている事を、微塵も疑う様子がない。 走って部屋に戻り、ウオークマンを持ってくると、ロビーの隅に座って、彼は大事そうにポケットから封筒を出した。新券で2万円入っている。「足りますか?」「もちろん、余りますよ。おつりね」「いいんですよ。私は日本円を持っていても、使えないんですから」 そうなのだ。彼はこの日本円を、どこから都合してきたのだろう。 かつての中国には人民元と兌換券の2種類のお金があり、外国人は兌換券、中国人は人民元以外のお金は持てないし、使う事もできない。なので、私が持っている兌換券をおつりにあげてもダメだった。 このような制度があるから、外国人観光客がおつりに人民元を掴まされる事もよくあった。もちろん、兌換券の価値が人民元の何倍もあるからだ。そして、人民元を持った外国人は、それを両替できないため捨てるしかなくなるのだ。 日本なら、ドルもユーロも自由に両替ができるが、中国では、国民は外貨両替が許されておらず、中国人が日本円に両替する事は犯罪だった。共産圏は全てがそうだったのだ。ロシアやポーランドでは、闇ドルと言って外国人旅行者からドルを買い取る商売があった。銀行で両替をするよりレートが高いので、売る人も多かったそうだ。 お金をどうやって工面したか聞く事はできなかったが、ツアコンという、いつ来るかわからない、来てもウオークマンを持ってくるかもわからない相手のために、法を破ってこれほどの大金をどうやって作ったのだろう? 私は、もし彼が引き取りに来なくても、自分が使えばいいからさほど困らない。 けれど、彼は、私が来なければ、この日本円を使う事も、両替する事もできないのだ。 「どうして?どうして、私がウオークマンを持ってくると信じたの?心配じゃなかったの?」「あなたは必ず来てくれると信じていました。一緒に仕事をした時、わかりましたよ、あなたは信義を重んじる人です。中国で尊敬されるのは信義に篤い大人(タイジン)、信義のない人は小人(ショウニン)。友を求めるなら大人でなくてはなりません」 彼は本当に嬉しそうにウオークマンを試し、録音も出来ることに「これは有り難いです。学校の授業が録音できますね。私はもっと日本語を学ばなくてはなりません。けれどこれがあれば、大きな助けになりますよ」 私は、とても感動した。涙が出るくらい感動した。私達は物に囲まれて、溢れるほどの所有物に埋もれて過ごしている。ウオークマンは1ヶ月の給料の1割程度で買える。今なら、おもちゃのように小さく軽いものや、携帯電話になっているものもある。 けれど、彼がこれを手に入れるには、どれほどの苦労があっただろう。農村部でもかなり奥地にある桂林にはこれといった産業もなく、町の中心を流れる大河・璃江(変換ができない字なので)で魚を獲るか、野菜を作るか、小さな工場で働くか…失礼ながら、豊かな町とは言い難い田舎町なのに。 そう、私はとても感動した。けれど、翌日には、さらに感動的な出来事が待っていたのだ。 |
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